気の抜けきったアップルサイダー

雑記です。好きなことから感じたことなど~

青春の供養

私には中学3年の11月から高校卒業(2月)まで3年間付き合っていた彼氏がいた。もっというと高校1年の時に一度別れて4ヶ月後くらいに復縁しているので、正しくは2年9ヶ月程だ。彼は学校の文化祭のミスコンで毎回2位になるようなイケメンで(1位は毎回生徒会長だった)、運動部の部長で勉強もできて、中学では副生徒会長を務める生徒からも先生からも人気の真面目で爽やかな男の子だった。私は彼が好きだったし、自慢だった。しかし、実際には関係はあまり上手くいってなかったんだと今では分かる。高校という青春真っ只中にその彼といたわけだが、今回はそんな青春を(当時の私の気持ちを)供養するために文章を書こうと思う。


出会いは中学2年の生徒会選挙。
彼と私は副生徒会長として推薦され、顔合わせで初めて彼を知った。それから選挙で当選した彼は副生徒会長として、落選した私は生徒会の監査として生徒会活動を共にし、3年の文化祭後に付き合い始めた。受験期だったこともあり、その時は恋人らしいこともできず、高校生になれば時間も自由もできて、楽しいことをたくさんできるだろうと期待して過ごした。
無事に同じ地元の進学校に合格し、最初の1ヶ月程は週に数回一緒に下校できたが、部活が始まると彼は運動部、私は文化部で終了時刻が合わなかったり、夜遅くなったりしたため一緒に下校することはなくなった。だからといってクラスと校舎が違ったため校内で会うことも少なく、彼のかっこよさによりクラスの女子から人気で狙ってる子がいるなんて話が耳に入れば不安にもなるし、LINEやSNSを一切やらないと宣言し、メールも電話も苦手とほとんど連絡しない彼(ちなみに付き合ってた当時の話さない電話しないメールしないの音信不通最長期間は3ヶ月)に私は不安と不満を募らせた。結果、私は耐えられずに、高校1年の5月に別れをメールで切り出した。それに対し、彼の返信は「分かった」との一言。なんてあっけない。しかし、もっと不安を相談したり話し合うことができれば結果は違ったんじゃないかと私は後悔した。数日後に復縁を申し入れたが断られ、でも諦められず押しては引きを繰り返し、彼の部活の大会前にミサンガを作り渡したことをきっかけに彼からもう一度やり直したいと言ってもらい復縁することになった。

でもそんな簡単に上手くはいかなかった。
もっと話してればなんて後悔したけど、話せない相談できない理由が私の中にあったことにその時は気づいていなかったから。
私と付き合う前、彼には彼女(Aさん)がいた。Aさんは私とクラスが一緒でそれなりに仲良くて、彼と付き合ってたことも私は知っていた。Aさんは少し変わっていて、好きな人がいて、その人と付き合うことになっても手を繋いだり触れたりすることは嫌で、なるべく一緒にいたくないし、連絡もしたくないという子だった。それは私もAさん本人から聞いていて、彼は手を繋ぎたいし、電話もしたい、でもAさんはしたくないとすれ違っていたようだった。それがきっかけで二人は別れ、数ヶ月後に私は彼と付き合い始めた。私と付き合い始めてからの彼はAさんと付き合っていた時の彼とは違い、手も繋がないし、電話すらしてこない。受験期だったこともあるかもしれないが、付き合ってすぐの私の誕生日におめでとうの一言もなかったことが寂しく、悲しかった私は彼に「Aさんが電話もしたくない、触れたくないと思ってたことを気にしているのか?私はAさんとは違う。現状が寂しいし切ない。」と話してみた。感極まって泣き出した私に、彼は「気にはしてない。大丈夫だ。」とそれだけ言った。泣いている彼女に対して弁解するでもなく、慰めることもなく、素っ気なく返事をする彼に、私が寂しい思いをしていることに対しての反応がなかったことに、悲しくなった。ではなぜ私には連絡してくれないのかとそれ以上は聞けなかったし、たぶん聞いても無駄なんだろうなと思った。私が耐えればいいのだと悟った。復縁してからも私から相談したり話し合うことはなく、普通の会話でさえ、彼の返答でまた傷つくのではないかと考えると何も話せず、無言でいることが増えた。

それから高校卒業まで付き合い、彼氏持ちのリア充として過ごしてはいたが、一般的に想像されるような頻繁にデートして、記念日を祝い、校内でもラブラブなカップルとは違った。デートは3年間付き合ってて1度だけ、お祭りなど季節のイベントもなく、誕生日プレゼントとホワイトデーのお返しもそれぞれ1度(私は毎回お祝いしプレゼントもしていた)、クリスマスや誕生日を当日一緒にいたこともなければお祝いの言葉を言われたこともない。(一度だけ誕生日におめでとうのメールはきた気がする) きっと彼は人がお祝いしてもらって嬉しいと感じることを知らないのかもしれないと考えた私は、彼の誕生日には日付が変わると同時にメールをし(彼は12時には寝ているため電話は出ない)、手作りケーキをプレゼントしたりもした。彼からは「私からのメールが一番だったよ!嬉しい!ありがとう!」というようなニュアンスのメールが絵文字付で送られてきたし、ケーキも喜んでくれた。しかし、次の私の誕生日は何もなく過ぎ、1週間後くらいに、忘れてたのかと思い、「○月○日って何の日か知ってる?」と聞いてみると、「私の誕生日でしょ!覚えてるよ。プレゼントどうしようか悩んでたら過ぎちゃったんだよね!」と返ってきた。悩んで過ぎたとしても気づいた時点で「おめでとう」くらい言えるよね…?と思ったが彼のあっけらかんとした態度に何も言えなくなった。だからと言って、バレンタインにあえてチョコを渡さないと、彼の友人から「チョコ貰えなくて悲しがってたよ」と報告がきて、彼がよく分からなくなった。

記念日やイベントがなんだって話だけど、当時、小説や映画、少女漫画から夢を見ていた普通の女子高生だった私にとってはとても大切で、二人で大切にしたかった。
そんな中でも高校の文化祭は二人で過ごすことができた唯一のイベントで楽しい思い出だ。何をするでもなく、空き教室でただ外の景色を眺めるだけの時間でも良かった。それだけで幸せだった。

そうこうしているうちに高校3年の夏にはお互い部活を引退し、本格的に大学受験勉強突入となった。久しぶりに彼と下校していると彼から「そろそろ勉強に本腰いれたいから、一緒に下校することも連絡もできなくなる。お互い勉強頑張ろう。」と言われた。真面目な彼だから、いつかは言われると思っていたし、覚悟はしていたけど、悲しかった。勉強の邪魔をするつもりはないし、なりたくない。けど、私は一緒に頑張りたかった。お互いに支え合って乗り越えたかった。せめてそんなこと思ってても言ってほしくなかった。きっと言われなくても私は彼に連絡もできないし、一緒に帰ろうなんて言えなかったから。でも、それが彼だからと半ば諦めて何も言わなかった。ただ「うん。そうだね。頑張ろうね!」と返事をして別れた。
志望校は彼は地元、私は東京の大学と進学先は別々で、受験が終わってから別れるのか遠距離で続けるつもりなのか、それさえも分からず、ただただ私は彼がいないことに慣れようと彼のことは考えないように勉強に集中した。年が明け、センター試験が終わり、個別試験が控える頃には、私は彼のことを考えることがなくなっていた。とうとういてもいなくても同じ存在になってしまったんだなと感じた。ならば、早めにけじめをつけて個別試験へ心置きなく挑めるようにしようと、私の個別試験の1週間前に彼が下校するタイミングを見計らい待ち伏せをした。勉強の調子はどう?などと数ヶ月ぶりの会話をして、私は「私たち別れよっか!」と努めて明るく伝えた。彼は「お互い試験頑張ろうね」とだけ言っていた気がする。正直あまり覚えてないが、「はい」でも「いいえ」でもなく曖昧な返事だったことを覚えている。その後、学校の図書館で少しだけ泣いた。後悔はしてないしなんで泣いているのか分からなかった。彼が志望校へ合格したことは風の噂で聞いた。私も無事に大学進学が決まり、卒業式でも彼とは話すことはなかった。



彼と別れて3年が経った。
彼とは一度、成人式で会い、少しだけ話した。
近況報告を何事もなかったかのように、他の友人たちと同じように話せた。
変わったことと言えば、彼がLINEとFacebookを始めていたこと。時間が経ったんだなと思った。
私には今、とても好きな人がいて、その人と一緒に暮らしている。とても尊敬できる人で、幸せで、この幸せを離したくないし、ずっとこの人といたいと思える。
そんな今でもたまに彼が夢に出てくる。夢に出てくる人は忘れかけてる人だと聞いたことがある。私にとって彼は過去の人で、きっと今ならあの時の気持ちを精算できるはずだから、少しだけ昔話をしたくなる。

しいたけに魅せられて。就活によせる鎮魂日記

私事ながら、大学卒業後はフリーターになる予定です。(採用のための選考はまだ1社終わっていないけど…) しいたけに感化されたので、昨日とかここ最近考えたことなどつらつらと書こうと思います。

フリーターになるって私にとっては結構大変な決断で。だって、高校では部長を務めた部活で全国大会にいき準優勝して、大学は第一志望は落ちたとはいえそこそこの大学へストレートで進学して、出版社でアルバイトをし、Webメディアの立ち上げにも参加して、就活もスムーズにいくと思ってたんです。
それなのに。就活ではことごとく惨敗。自尊心ズタズタ。大手ばかり狙い過ぎたことを反省して、途中からは中小も見始めたけど、結局だめ。昨日は夜中に泣きながら彼氏のネクタイで首絞めて、彼に怒鳴られました。

選考で落とされ過ぎて、やりたいこととか向いてることとか分からなくなって、先が見えなくて、なんでこんなに苦しんでまで就職しなくちゃいけないのか分かんなくて、思考回路が鬱々としすぎてて死にたくなっては立ち上がりを繰り返してたのが最近の話。でももう立ち上がれなくなったのが昨日。
就活なんてやめたいけど、やめて何をすればいいかが分からなくて、選択肢はある、起業(なにで?パン屋?)とか今は一旦休んで来年また就活する(もう嫌)とか、フリーター(アルバイター)、院進学(経済的に難しい)、留学(経済的に厳しいけどまああり)、ワーホリ(不安)…。でもどれが最適解かが分からないし、今まで21年間走り続けてきたから止まり方が分からない。し、止まるのが怖い。

そんな時、彼(2浪したため3歳上の新社会人)が教えてくれました。「全てを受け入れなくてもいい。受け入れようとすると苦しくなる。まあいっかって諦めて、置いておいても悪いことじゃない。」と。話は変わりますが、私、何事も善か悪かで判断しがちで。走るのをやめることが悪で走り続けないといけないと思ってたんです。でもそれは自分に限ったことで、友人や先輩が夢のために大学辞めたり、浪人したりする姿を何度も見てきて、その姿を軽蔑することは一切なくて、むしろ立派だなって、素敵だなって思ってて。だから、彼が言ってくれた「悪いことじゃない」って言葉が刺さりました。自分の勝手なものさしで自分をより縛り付けて制限して苦しめてたんだなって。
彼の兄弟も私の兄もアルバイト先の人も、よく考えればフリーターだったんです。今は正社員として働いている人もいますが、身近にいるなーって、そんな珍しいことでもないし、止まることは恥ずべきことでもないなって。結果、フリーターが一番身近だった。普通に生活するだけでもお金はかかるし大変なんだと最近実感したから、生きて、普通に生活しているだけですごいことなんだなって思います。だから目標は普通に生活すること!笑

それで、そんなことを考えてた昨日の夜中から無事に生きて起床したのがさっきで、Twitter徘徊してたら、見つけたのがしいたけ。

https://voguegirl.jp/horoscope/shiitake2018-h2/

気が沈んでるというか、ちょっとしんみりしてる時って占いとか見がちなのですが、しいたけ占いの言葉に救われました。当たってるとか当たってないではなくて、いや、少し当たってたから尚更なんだけど、「新しい旅の始まり」なんだな、きっといいことあるかもしれないなって、占いではあるけれど今の私が安心するには充分な言葉で少し元気を貰えました。


昨日、残り一社の二次面接を受けてきて受かってれば次が最終だけど、ちょっとやらかしたからフリーターになるかもしれないし、もしかしたら気が変わって新たな企業にエントリーしてるかもしれないし、まあ来週合否が出たら分かるけど、落ちてたらまたへこむと思うけど、それでもまた立ち直れると思います。

平日水曜日午後15時54分。
立ち直り記念に映画でも見に行ってきます。
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#Nowplaying グラニート/MONOEYES

いつまでも大学生でいたい

就職活動真っ只中な大学4年の5月。
卒論とゼミを抜いた、卒業に必要な残りの2単位のために久しぶりに大学へ来た。
私が所属しているゼミは4年で卒論を執筆するならゼミへの出席を免除される。いわゆるガチゼミではなくゆるーいゼミのため、現在は週に1回だけ授業がある。4月からタイミング悪く授業と就活が重なってしまったため今日が4年になって初めての授業だ。

大きな教室、まばらに埋まった席、学年が入り交じった学生、社会と言語に関する頭の良さそうな授業、ノートを取りつつブログを書く私。
この空間、状況にこれほど癒されたと感じることは今までなかった。

1年の頃は地元から東京に出てきて、新しい生活にわくわくしながら好きな服を着て真面目に授業に出席し、成績も良かった。2年はお酒も飲めるようになり、遊び方も増え、授業は面倒ながらも出席し、たまにさぼることも覚えた。3年では授業が週3日に減り、要領良く授業に出ながら、ほぼ毎日のように彼氏と一緒にいた。

4年の今、平日に外出するとなればほとんどがスーツで慣れないパンプスを履き、何かも分からない感情に押し潰されそうになりながら電車に乗っている。まだ肩書きは大学生であるのに大学生感は皆無。就活が大学生感と言われるならそれまでだけれど、3年までの大学生活と比べれば今の生活は萎れている。

この教室にいるどれだけの学生が学生生活を大事にしているだろう。私自身、「大事に」なんて考えていなかったけれど、くだらないことにも笑えて、その時を楽しんでいた日々に後悔はないし、充実していた。大学卒業時に楽しかったな、愛しいなと思える日々を送れていたことが嬉しくもある。
残り1年もない学生生活、萎れたままに終わらせたくないな。
いつまでも楽しんでやる!

何事もコスパが大事 ~ツラい体験から得たもの~

私は中学時代、吹奏楽部に所属していた。


入学式で演奏していた姿に憧れ、さほど厳しくもなく青春ができそうだと即決。
1年時は優しく怒らない顧問に優しくかっこいい先輩と楽しく部活をしていた。状況が変わったのは2年の時。それまでの優しい顧問が異動し、地元エリアでもとても厳しく怖いと有名なB先生が顧問になった。厳しいと有名だったが、その分成績が上がるならばと当初はドキドキとワクワクで半々だった。

毎日毎日、怒られ泣いて、それでも食いついて頑張った。でも辛すぎた。演奏のことで「なぜできないんだ」、「どうしたらできるようになるのか」それだけならいい。しかし、「お前はセンスがない」、「辞めてしまえ」と練習中に指揮棒を投げ、机を蹴り、いつも怒声が鳴り響いていた。(今、冷静になって考えるとあれは教育でも指導でもない。ただの暴力だ。)こんなことでと思うかもしれないが本当に恐怖だった。上手くなろうという気持ちよりもどうしたら怒られないかを考える日々。

辞めようと思うことはあったが辞めたら他の部員に迷惑がかかる。というのも、同期で辞めた子がいたが、その子が辞めたいと顧問に報告してから顧問とその子、その子の親で連日話し合いが行われ、部員たちには「引き止めろ」、「辞めたのはお前たちのせいだ」、その子が完全に退部してからは「あいつは根性がない」などその子をひどく言っていたこともあり、大切で大好きな仲間に余計な迷惑をかけたくなかった。

それに過去のB先生の赴任校の教え子たちはとてもB先生を慕っていたため、きっと引退すればこの辛い日々も良い思い出になるんだと考えていた。



今、思うとなんて生産性のない日々だったのかと思うし、あの経験からは「辛く苦しい経験をする必要はない。」ということを学んだ。
こんなトラウマ染みた経験から得るにはコスパが悪い。

辛く苦しい経験にもいろいろあって困難を乗り越えることは大事だと思うし、乗り越えた後の達成感は良いものだが、そこに怒声や暴力は必要ない。困難を乗り越えることは必ずしも辛く苦しいことにはならないし、楽しいに越したことはないのだと思う。



それ以来、私のモットーは「楽しく生きる」
何事も価値を見いだし、モチベーションを上げて楽しく乗り切る。
映画や読書などエンタメも大好き。楽しみがあると楽しくないことも乗り越えられるから。




今年、そのB先生は定年退職したらしい。定年を祝う演奏会を過去の教え子たちで集まって行うと知らせが来て同期も数名参加しているらしいが私は参加していない。年賀状ももう出すのを止めた。
自分の選択や経験を嫌なもののままにはしておきたくない。この思い出ともいい距離で付き合っていこうと思う。